「バイクについて」の記事一覧

BSA SPIT FIRE Mk Ⅳ / 67y AMAL Premier 交換作業 その2

これが届いた新しくリリースされたAMAL Premier

少し前にBSA ROCKET GOLD STAR にも928型で取り付けたものと同じで930型

 

 

 

 

旧タイプと比較すると、とても軽くなっているのが分かる..

ボディーがZinc(亜鉛)からAlloy(アルミ合金)に変更されているのです

 

 

 

標準のメインジェットは200番

 

 

 

 

スロットル・スライドピストンも硬質陽酸化処理(黒く見える)され、耐摩耗性向上が図られています

 

 

 

 

 

ガソリンホースを繋ぐ二股バンジョーは旧キャブから移植します

 

 

 

 

 

フィルター、ガスケットは新しいプレミア用で組みました

 

 

 

ボディ上部の蓋はアクセルワイヤーの関係で旧キャブ用を流用

厚くなったインシュレーターで3mm後ろにオフセットして取り付けたAMAL

少しは熱の影響を受けなくて済む筈です

 

 

 

左右共に取り付け完了

ところがフロート部からのガソリン漏れが止まらず..

何度も外して組み直した結果、新しいキャブにセットされていたフロートニードルを旧のタイプにすると

止まると云うやっかいな結果

(馬田モータースさんに持ち込んで解決)

 

上がプレミアに組まれていたフロートニードル

下が旧タイプの真鍮製?

少し前のBSA ROCKET GOLD STAR (928型)の時にはならなかったのですが…

ニードル先端部(円錐部)の精度なのでしょうか?

 

 

 

漏れも止まりました

美しい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秘密基地内での始動の様子

絶好調…

 

これから走りこんでプラグの焼けを見ながらメインジェット等のセッティングを見極めたいと思います

 

終わり

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BSA SPIT FIRE Mk Ⅳ / 67y AMAL Premier 交換作業

数十日振りに始動を試みたBSA SPIT FIRE Mk Ⅳ / 67y

アクセルを捻るもキャブレターのスロットルスライドピストンが固着しているような動き

更にはティクラーを押すとガソリンが止まらなくなる症状が..

 

エンジンは何とか掛かるもののアイドリングもしない状態

 

 

 

 

バラシて見るとスロットルスライドも左右共に痛みが目視できます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回交換したのが思い出せないくらいなのでキャブレターアッセンブリを新調することに..

 

 

 

 

組み込まれていたガスケットとベークライト製インシュレーター

 

 

 

このインシュレーターは凡そ4mm

 

 

 

ヘッド側のパッキンが1mm

 

 

 

 

キャブレター側のガスケットは0.5mm

 

 

 

 

 

外したキャブレターは932型の大口径

メインジェットは230番でセッティングされていました

 

 

 

 

スロットルニードルも燃え残りのカーボンがびっしり

針位置も一番下の濃いセッティングになっていました

 

 

 

 

 

念の為、口径を測ります

 

 

 

30mm…

今後も全開で走るようなシーンは無いので濃いセッティングから仕様変更することに..

AMALプレミアも932→930に変更することにしました

 

 

 

 

問題はこのインシュレーター

 

 

口径に合ったものは厚さが6mm

外したのと比べるとこれだけ違います

元々、このBSA SPIT FIRE Mk Ⅳ はマニホールド的な場所が無く

ヘッドの熱がキャブに伝わりやすい構造でしたので敢えてコチラをチョイス

 

 

 

 

 

ボルトの締め代が少なくなる為、薄いタイプのボルトを準備しました

(シカゴモータースさん提供)

 

 

 

 

外したボルト+Sワッシャとの厚みを比較するとこれだけ違います

 

 

 

 

 

ナットを締める際、スパナが入り難いのでこんなスパナを作ってもらいました

(シカゴモータースさん提供)

結果は如何に..

 

続く

 

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あれから..STEVE McQUEEN Motor Cycle Club 入会へ 2

コチラは随分前、ポルシェ356SCでSPA直入を走行時の画像

この時もスティーブ マックイーン「栄光のル ・マン」を意識した衣装

 

大好きな60年代カルチャーではバイクも4輪もヘルメットはジェット型が主流の時代

ゴーグルだけではカバー仕切れない鼻や口、顎への飛び石防止や埃対策、首周りの風よけが目的だった筈のマスク

この走行会時もバイク用の被る(円筒状)タイプを使用していました

(随分前に原宿のアトラクションで購入したが今は廃版)

 

 

 

 

トライアンフを走らせる時と同じマスク

 

 

 

 

 

 

 

ところが映画「栄光のル ・マン」のマックイーン演じるディレーニー(ポルシェ917K/20号車)のスタート前の映像をよく見てみると..

 

 

 

 

 

 

 

このシーンではマフラー状のものを巻いています

 

 

 

 

 

後ろ側はよく見えないのですが折り込んでいるのか、結んでいるのかは不明ですが筒状の被るタイプとは違います

 

 

 

 

鼻と口の辺りは折り返しています

 

 

 

 

 

スタート直前の誰もが知っているシーン

 

 

 

 

 

 

又、ライバルのスターラー(フェラーリ512/8号車)も同じように巻くタイプです

 

 

 

 

 

胸元くらいまである、かなり幅の広いタイプと思われます

 

そこで私も巻くタイプを試してみることに..

 

続く

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あれから..STEVE McQUEEN Motor Cycle Club 入会へ

 

過日の浅間ミーティングで、このクラブの存在を知ってしまってから直ぐ入会に至った次第

 

 

 

 

 

余りにも有名なこのCM

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フォーミュラーに於いても4ストロークで精密時計のようなエンジンが代名詞のホンダがアメリカからのオファーを受け1973年にリリースさせた本格的2ストロークモトクロスマシンCR250M

我々世代にはセンセーショナルなCMでした

HONDA  ELSINORE とは無縁でしたが彼の”栄光のル・マン”でPORSCHE 917K を走らせる姿に惚れたワケです

 

 

 

 

 

ここはモアナコーストフロント横の売店兼ラウンジコーナー

この壁は私の趣味で埋め尽くされています

 

 

 

 

もちろんソコには McQUEENのショット

 

 

 

 

 

 

 

 

秘密基地内にも飾られています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

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100th Asama Meeting Club(浅間ミーティングクラブ)その2

ずらりと並んだコンクールデレガンス参加車両

テーマは「Spirits OF Motorcycles Over 50years Ago」

 

最も古いのが1954年”みずほ自動車ナイトリーキャブトンRBH”と1954年”陸王RQ”

最新でも1974年”ホンダCB500T”まで25台がエントリー

 

 

初代理事長である(故)中沖 満氏の最後の愛車Moto Guzzi Le Mans Ⅲ

生前のお元気な姿が思い出されます

 

 

 

 

 

お馴染みのガレージセールも楽しみの一つ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メグロ愛が強く感じられるTシャツ

 

 

 

 

 

思わず”写真を撮らせてください”と頼んだ一枚

驚いたことに”Steve McQueen MotorCycle Club”のメンバーとの事

複数のメンバーで参加していると聞き、早速入会することに..

 

 

 

 

1954年モデル 伊藤機関工業IMC-K

戦後、愛知県~静岡県には何十ものバイクメーカーが存在していたのだそうな..

 

 

 

 

 

1958年 東京発動機(トーハツ)PKD58

レトロな衣装も重要なアイテム

 

 

 

 

この満面の笑顔..御年83歳

見ている方まで幸せになります

1964年 KAWASAKI J1-R

 

 

 

 

 

そして私です..

キックをミスり、少しかぶらせてしまいました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緊張気味にゆっくり走行

 

 

 

 

 

この後はお昼ご飯

峠の釜めしを頬張りながら、バイク談議が尽きない人々

 

 

 

 

 

 

 

ここで浅間ミーティングクラブの趣旨書をクラブHPから引用します

わが国の二輪車の歴史を語る時に、「浅間」を語らないわけにはいきません。それは1955年から1959年にかけて、国産車の性能向上を図るレースがこの地で行われたからです。1950年代初頭の国産車は窮乏のなかで庶民の生活に欠かせない輸送手段として使われていました。つまりトラックの代わりとして酷使されていたのです。メーカーも150社以上が乱立、作れば売れることから品質劣悪といったものが多く見られました。性能は、外国車に比べると著しく劣っていたために外国車の進出が目立ち、せっかく緒についた国産車生産に危機感が生じました。有名なイギリスのマン島TTレースのようなレースを行うことで、国産車の弱点と欠陥を洗い出し、耐久性向上をはじめレースによって品質向上を目指すという方法がとられました。
第一回のレースは1955年11月に北軽井沢をスタートし、国道146号線などの公道を閉鎖して行われこれが「第一回浅間高原レース」として知られたレースなのです。第二回のレースは1957年10月に新設の専用コースで行われました。第三回は1959年8月に開催。
いま、世界一と言われる、わが国のモーターサイクルの基礎は、過酷な条件の下で行われた「浅間」で培われ、育ったのです。当時、200に近かったメーカーも現在は4社が残るだけ、という事実からもわかるように「浅間」は、素晴らしいマシンとライダーを育てた原点であり、故郷なのです。
そして、多くのドラマを生んだコースは茫々の中にその歴史を埋没させつつあります。

現在、日本のモーターサイクルが世界を席巻していますが、1950年代のいわば国産車の揺藍期のころの実車がほとんど残っていないことと、世界一の生産国でありながら、そういった物を保存して歴史を伝える試みが成されていない現状を、憂慮しハード面、ソフト面、両方の確立を、地域・モーターサイクル愛好者・メーカー等が協同してこの事業を展開することが必要と考えます。

浅間ミーティングクラブは結成から31年を経過し、毎年加入会員より積立を行い浅間記念館建設資金として1988年に3,000万円を群馬県長野原町に対して目的指定寄付を行いました。翌年1989年5月には浅間記念館(モーターサイクルと関連資料を展示)が町営の施設として開館。現在も開館以来継続して浅間記念館の企画、運営、維持管理作業をしています。また、クラブ設立以来より地域活動とし、大型モーターサイクル、サイドカーによる交通安全パレードへの協力。災害・救援活動として、発電機の寄贈、災害見舞金の拠出、献血活動協力で群馬日赤より銀賞授与など。
これまでのモーターサイクルを通して行っている取り組みをより発展させ、モーターサイクルとライダーに対する社会の理解を深め、浅間記念館維持管理を通じ歴史、文化の継承。地域社会に対する活動を広く一般市民と共に協同事業としておこなうものです。

設立については、まちづくり、学術、文化などの振興をを図るため幅広い領域で活躍するべく、任意団体ではなく法律上の権利義務の主体と認められる人格のある法人格とし、銀行口座の開設、電話回線、公共料金等の法人名義による契約締結が可能になり、責任の有る立場で歴史を伝え、今日を語るために。また地域により貢献するために公益性の高い、開かれた法人格を取得し広く個人、団体に呼びかけるために当法人の設立をめざすこととしました。

以上原文のまま

 

 

 

 

そしてこの御仁こそ、アサマのレジェンド”宇野順一郎”氏

1958年、浅間高原自動車テストコースで開催された第1回全日本クラブマンレースに、自ら改造したホンダ・ドリームSAで出場

ライトウェイト(250cc以下)クラスで7位を獲得

その後はヤマハワークスライダーとして、国内レースやモトクロスで活躍

晩年はルーツ・ザ・レース(鈴鹿で開催された旧車レース)などのイベントレースに出場

2004年にはマン島TTのラップ・オブ・オナー(パレードラン)にトーハツレーシングマシンで参加の後、デイトナにも遠征

一方、家業である電装部品、特に旧型車の電装部品の修理に関しては関西圏の第一人者として活躍

ポルシェ356乗り仲間の先輩方と一緒にモアナコーストにもお越し頂いたこともあり話が弾みました

 

 

 

 

そろそろ解散の時間

 

 

 

 

最後に皆さんと集合写真に納まります

巨大ペナントの左端の黒いキャップを被っているのが私です。

 

終わり

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