鳴門(徳島 四国)は宝の山・・・

少し前、「鳴門海峡を世界遺産に」についてお知らせ致しました。

 

その他にも鳴門から世界に通ずる歴史・文化があります

実はそれが「第九」なのでであります。

 

啓発チラシ-page-001

 

正直、このデザインとコピーは少し?な点はさて置き

 

 

鳴門の知名度UPや経済的なプラスになるよう協力したいと考えております。

 

改めて鳴門市のPRを見てみると

 

『鳴門の第九』という ブランド

第一次世界大戦中

俘虜収容所のドイツ兵により

日本で初めて「第九」を全曲演奏

オーケストラの団員たち

 1918年(大正7年)6月1日、板野郡板東町(現在の大麻町)にあった板東俘虜(ふりょ)収容所で、ドイツ兵捕虜たちによって、日本で初めてベートーヴェン「交響曲第九番」が第四楽章まで全曲演奏されました。この板東俘虜収容所は、第一次世界大戦時に中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人を収容した所で(1917年4月6日入所開始)、松江豊寿所長をはじめとした人道的な管理体制の下で、スポーツ、文化、経済活動や地元の人々とのさまざまな交流が生まれ、世界でも類を見ない収容所として現在も注目されています。  捕虜生活の心の平安は一に信仰、二に友情、三に音楽から得られたといわれています。ドイツ人の音楽好きには特筆すべきものがあり、音楽活動に最も大きな情熱を注ぎました。板東俘虜収容所にはオーケストラが2つに吹奏楽団、合唱団もあり、解放されるまでの2年10カ月の間に90回以上の音楽会が開かれ、地元の人々に対して公演を行ったこともありました。

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オーケストラの団員たち

 1918年(大正7年)6月1日、板野郡板東町(現在の大麻町)にあった板東俘虜(ふりょ)収容所で、ドイツ兵捕虜たちによって、日本で初めてベートーヴェン「交響曲第九番」が第四楽章まで全曲演奏されました。この板東俘虜収容所は、第一次世界大戦時に中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人を収容した所で(1917年4月6日入所開始)、松江豊寿所長をはじめとした人道的な管理体制の下で、スポーツ、文化、経済活動や地元の人々とのさまざまな交流が生まれ、世界でも類を見ない収容所として現在も注目されています。  捕虜生活の心の平安は一に信仰、二に友情、三に音楽から得られたといわれています。ドイツ人の音楽好きには特筆すべきものがあり、音楽活動に最も大きな情熱を注ぎました。板東俘虜収容所にはオーケストラが2つに吹奏楽団、合唱団もあり、解放されるまでの2年10カ月の間に90回以上の音楽会が開かれ、地元の人々に対して公演を行ったこともありました。

とあります。

 

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収容所とそれにまつわるさまざまな交流は、管理責任者の松江所長を抜きに語ることはできません。当時としては珍しく時代感覚と国際感覚に富んだ人物で、日本側の関係者や地元民が温かく接し迎え入れていった背景には、「信念を曲げない義と、勇と愛の人」松江所長の思い切った英断がありました。今の「鳴門の第九」は人を思いやる心から始まり、世界へ誇れる平和と友情の象徴となっています。

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ドイツ館で発見されたプログラムには、ソロ歌手の名や合唱の歌詞も添えられており、女性歌手こそいませんでしたが、記録上、日本における「第九交響曲」の初演を裏付けるものです

 

 

こうした歴史的背景により

現在の鳴門市では「全国から第九を歌う会」の方々がお越しになっています。

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第一回鳴門「第九」演奏会
1982年(昭和57年)5月15日に、市制施行35周年と市文化会館落成記念行事として、市民合唱団「鳴門市『第九』を歌う会」による初めての演奏会が、完成したばかりの同会館で開催されました。演奏会ではフィナーレとともに、聴衆からは「ブラボー」の歓呼と力強い拍手が合唱団へ送られ、鳴りやまないカーテンコールに会場は熱狂の渦となりました。この感動に市民から、「第九」を毎年聴かせてほしいという声が寄せられ、日本初演の6月1日にちなみ、同月第一日曜日を『第九の日』として、定期演奏会が毎年開催されるようになりました。

ドイツ館「第九」演奏会
1994年(平成6年)6月4日、新ドイツ館の開館とリューネブルク市姉妹都市盟約締結20周年記念事業として「ドイチェスフェストinなると」が催され、ドイツ・鳴門物産展など多彩なイベントが行われました。その一環として、第十三回の演奏会は、ドイツ館前に会場を移し、初の野外公演となりました。ばんどうの鐘を公演開始のベル代わりに鳴らし、演奏会は始まりました。

 

 

上記の事からお判りになるように

これはまさに文化であると考えます。

 

モアナコーストも微力ながら協力し、強固な尖ったコトにしたいものです。