「リゾート社長のこだわりブログ」の記事一覧
お正月明けにプチツーリングをご一緒させて頂いた
トライアンフ乗りの友人から貰った石鹸を使ってみようと
開封致しました。
裏面を見てみると
スナップオンからリリースされているようです。
流石に整備工場御用達です。
中身は
石鹸とは思えないカッコ良さ
名称のように仄かにオレンジの香りがします
調べてみると
業務用のポンプタイプもあるようです。
石鹸固形タイプはオブジェにして置いておこうかと考えております。
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少し前、「鳴門海峡を世界遺産に」についてお知らせ致しました。
その他にも鳴門から世界に通ずる歴史・文化があります
実はそれが「第九」なのでであります。
正直、このデザインとコピーは少し?な点はさて置き
鳴門の知名度UPや経済的なプラスになるよう協力したいと考えております。
改めて鳴門市のPRを見てみると
『鳴門の第九』という ブランド
第一次世界大戦中
俘虜収容所のドイツ兵により
日本で初めて「第九」を全曲演奏
オーケストラの団員たち
1918年(大正7年)6月1日、板野郡板東町(現在の大麻町)にあった板東俘虜(ふりょ)収容所で、ドイツ兵捕虜たちによって、日本で初めてベートーヴェン「交響曲第九番」が第四楽章まで全曲演奏されました。この板東俘虜収容所は、第一次世界大戦時に中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人を収容した所で(1917年4月6日入所開始)、松江豊寿所長をはじめとした人道的な管理体制の下で、スポーツ、文化、経済活動や地元の人々とのさまざまな交流が生まれ、世界でも類を見ない収容所として現在も注目されています。 捕虜生活の心の平安は一に信仰、二に友情、三に音楽から得られたといわれています。ドイツ人の音楽好きには特筆すべきものがあり、音楽活動に最も大きな情熱を注ぎました。板東俘虜収容所にはオーケストラが2つに吹奏楽団、合唱団もあり、解放されるまでの2年10カ月の間に90回以上の音楽会が開かれ、地元の人々に対して公演を行ったこともありました。
オーケストラの団員たち
1918年(大正7年)6月1日、板野郡板東町(現在の大麻町)にあった板東俘虜(ふりょ)収容所で、ドイツ兵捕虜たちによって、日本で初めてベートーヴェン「交響曲第九番」が第四楽章まで全曲演奏されました。この板東俘虜収容所は、第一次世界大戦時に中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人を収容した所で(1917年4月6日入所開始)、松江豊寿所長をはじめとした人道的な管理体制の下で、スポーツ、文化、経済活動や地元の人々とのさまざまな交流が生まれ、世界でも類を見ない収容所として現在も注目されています。 捕虜生活の心の平安は一に信仰、二に友情、三に音楽から得られたといわれています。ドイツ人の音楽好きには特筆すべきものがあり、音楽活動に最も大きな情熱を注ぎました。板東俘虜収容所にはオーケストラが2つに吹奏楽団、合唱団もあり、解放されるまでの2年10カ月の間に90回以上の音楽会が開かれ、地元の人々に対して公演を行ったこともありました。
とあります。
収容所とそれにまつわるさまざまな交流は、管理責任者の松江所長を抜きに語ることはできません。当時としては珍しく時代感覚と国際感覚に富んだ人物で、日本側の関係者や地元民が温かく接し迎え入れていった背景には、「信念を曲げない義と、勇と愛の人」松江所長の思い切った英断がありました。今の「鳴門の第九」は人を思いやる心から始まり、世界へ誇れる平和と友情の象徴となっています。
ドイツ館で発見されたプログラムには、ソロ歌手の名や合唱の歌詞も添えられており、女性歌手こそいませんでしたが、記録上、日本における「第九交響曲」の初演を裏付けるものです
こうした歴史的背景により
現在の鳴門市では「全国から第九を歌う会」の方々がお越しになっています。
第一回鳴門「第九」演奏会
1982年(昭和57年)5月15日に、市制施行35周年と市文化会館落成記念行事として、市民合唱団「鳴門市『第九』を歌う会」による初めての演奏会が、完成したばかりの同会館で開催されました。演奏会ではフィナーレとともに、聴衆からは「ブラボー」の歓呼と力強い拍手が合唱団へ送られ、鳴りやまないカーテンコールに会場は熱狂の渦となりました。この感動に市民から、「第九」を毎年聴かせてほしいという声が寄せられ、日本初演の6月1日にちなみ、同月第一日曜日を『第九の日』として、定期演奏会が毎年開催されるようになりました。
ドイツ館「第九」演奏会
1994年(平成6年)6月4日、新ドイツ館の開館とリューネブルク市姉妹都市盟約締結20周年記念事業として「ドイチェスフェストinなると」が催され、ドイツ・鳴門物産展など多彩なイベントが行われました。その一環として、第十三回の演奏会は、ドイツ館前に会場を移し、初の野外公演となりました。ばんどうの鐘を公演開始のベル代わりに鳴らし、演奏会は始まりました。
上記の事からお判りになるように
これはまさに文化であると考えます。
モアナコーストも微力ながら協力し、強固な尖ったコトにしたいものです。
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今日の徳島 鳴門 モアナコースト周辺は強風
大鳴門橋も風速11m、南あわじ方面の海も白波が立っております。
あれからラビットについて調べてみました
プアコショップのウインドウにも兎
餅つき用の杵まで・・
一時期は日本中で使われていました
その後は世界中に!
アメリカでも
ラビットマニアの記述によると
ラビットスクーターは、昭和21年、旧中島飛行機が戦後の日本の発展を見込み、
戦時中使われていたアメリカ製のポウエル・スクーターを原型として試作をはじめ、
S-1型からS-301型まで 637,487台が製造された。現在の実動車は、およそ 3,000台とみられている。
とあります。
日本以外にも探せばレストアの基となる個体はかなり存在するのではと推測いたします。
こんな状態でも
かなりの量のストックしたパーツ類
どんどんとレストアして貰いたいと存じます。
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空冷ポルシェに憧れ
50歳までに所有したい夢が叶って久しいのですが
全国各地に空冷繋がりのご縁が広がり
結果、空冷ポルシェを含めたヘビーな車好きな方々との交流が大きくなり
大変嬉しく感じております。
今回もそんなご縁なお客様
京都からお越し頂いた964ターボ
ご覧のようにホイールとレンズはRUF
見覚えのあるステッカーが貼ってあり
お話を伺うと
やはりそのショップからの個体
大変、お話が弾みました。
グラマラスなと云う表現はこのワイドボディにピッタリ
ソリッド色の黒はコンパクトな車体のポルシェをさらに流線に魅せます
朝の青い空と白い雲に映えるワイドボディ
空冷は止められそうにありません・・・
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本日の徳島 鳴門~南あわじ方面は薄曇りで
海の風は少々吹いています
旧友の漁師にメバルをお願いしておりましたが釣果は今一つのよう・・
少し前に船を停泊させてある目の前にラビットショップがオープンした
との情報で一緒に伺うことに
通り慣れた道の長く空き家になっていた場所
こんなお洒落なショップに代わっており驚きです。
それにしても遠く関東からのIターン
しかもご家族で鳴門に移住
我々では解らない魅力が彼らから見ると満載なんですね。
地元紙にも大きく取り上げられています。
徳島県内には神山町がITインフラを生かしたIターンを成功させています
鳴門は違う切り口で進められそう・・
工房内もフルレストアに必要なツールも充分ですし
これはホンモノと感じました。
しかし、これだけ尖ったコンセプトは珍しいですね
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