「ライトウェイトスポーツ」の記事一覧
阿蘇の山並みをあのBUGATTIとランデブー
冬の荒涼とした時期も良いですが新緑の季節は格別です
阿蘇くじゅう国立公園 草千里で小休止
ここは是非いつか、TriumphやBSA等クラシックバイクで訪れたい場所
今回のコマ図とPC内容
ナビシートのカノジョも慣れた様子でトリップ数を書き込みます
示された数値からスピードを割り算して準備
コマ図には敢えてこんな農道も使い、皆さんを楽しませてくれます
初日の16時には”レゾネイトクラブくじゅう”にゴール
パーティー前のアペリティーボを皆さんと楽しみます
今年の生ハムはフランス産”JANBON DE BAYONNE”
クルマの話で盛り上がりのようす…
すっかりと陽も落ちたレゾネイトくじゅうの駐車場
明日はMG MIDGET MkⅢ も幌を畳んでオープンで走らせます
ディナーが始まりました
さらに続く..
コメントを残す (0)毎年、この時期に開催の”GIRO DI CALDERASO”
私達にとって5回目となる参戦となりました
いつものルート、松山観光港までは鳴門から自走
22時に出航、小倉港に向かうフェリーを使います
日の出前の小倉港に着岸の様子
今回は2日間共にお天気に恵まれそうです
調子の良い状態で九州上陸のMG MIDGET MkⅢ
ここから北九州都市高速を使い、福岡護国神社に向かいます
受付を済ませ、コマ図をチェックするカノジョ
続々と参加車両が到着します
驚きのトランポ
このハイエースには”BUGATTI”が積み込まれています
毎年出店している洒落た移動販売車でコーヒーを買うカノジョ
セットで買ったクロワッサンサンドを二人して頬張ります
いよいよスタート
生産年の古い順に並びます
私達も大勢のギャラリーに見送られ出発
続く
コメントを残す (0)1週間後に迫ったラリーイベント参加車両 Honda S800 Coupe を整備中に
それは突然に起こりました
始動後、プラグも交換しておこうと何気にセルを廻すと”カンッ!”と聞いた事の無い振動と音が聞こえました
2度ほど同じ症状の後、エンジンは始動するもののいつもとは違うエンジンフィール..
これはおかしいと感じ、直ぐにエンジンオフ
プラグを点検しようと4番から順次新しいモノに交換して行きます
4番3番2番と終え、最後の1番を抜いて新品のプラグを入れようと振り返ったその時、私は目を疑いました
あろうことか、1番のプラグ穴から不凍液の混じった冷却水が溢れているではありませんか…
慌てて師匠に電話を入れます
症状を伝えるとヘッドガスケットが1番周りのどこかで抜け、水がヘッドに入り結果ウォーターハンマー症状を起こしたとの弁
“カンッ!”の音と振動はその為
*Wハンマーとは水分がシリンダー内に侵入し、他の3気筒は何とか燃焼する為に逃げ場の無い圧力がシリンダー内の弱い部位となるピストンに割れや穴あきを起こす症状..とのことです
バラシて見ないと何とも言えないとの事でしたが急ぎでレッカーサービスを使い運びます
ココのレッカーサービスは丁寧な仕事で安心します
見送った後、代替え車両を考えます
参加可能な年式からするとPorsche 356 SC or MG MIDGET Mk Ⅲ
Porsche 356 はエントリー車両も多く断念
今回のイベントには肝入りでHonda S800M Coupe で向かう必要があったのですが
時間的な制約もあり、MG MIDGET MkⅢ での参戦準備を急遽行います
2日間で1000Kmの長丁場となる為、重装備を覚悟して進めます
雨天も想定し、ポイントやコンデンサーも積み込みます
プラグも5番と6番の2種類を準備
空気圧も念入りに
果たしてHonda S800 M Coupeは如何に..
続く
コメントを残す (0)高知の夜は、皿鉢料理と地酒を満喫
定番の”土佐鶴” “酔鯨” 美味しい魚でグイグイ進みます
翌朝も気温は低かったのですがお天気には恵まれました
この個体は68y
やはりこの年式だと寒い方が調子が良いですね
他ホテルで分宿のメンバーを待つ2台のMG
お約束の桂浜で集合写真
昼食会場の入り口にはLONDON BUSのディスプレイ
レストラン入り口にはこだわりパンの販売コーナーも..
超大型の農業倉庫を改造したような店内
有機素材をふんだんに使ったオリジナルな作風
その後は南国市まで足を延ばし”海洋堂”の見学
フィギアの業界もとてもマニアックな世界
企業と自治体の思惑が合致したのかは不明ですが経済効果は十分に感じられる施設です
寸分たがわないリアルなモノから細部まで表現したマニアックなモノまで..
大人から子供までモノづくりの体験で時間を忘れること受け合いです
最後は”四国自動車博物館”
やはりHONDAコーナーから見学
他にもBSA ROCKET GOLD STAR が在るのには驚きました
CB250エクスポート
当時、中学生だった私の年代にはとてもノスタルジア
入れ替えもあるのでしょうがTM400モトクロッサーとは流石ですね
終わり
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隊列は県境を越え、東洋町に入りました
サーフボードの看板が示すように東洋町生見海岸は”アマチュアサーフィン選手権大会”も開催される
波乗りのメッカとして知られています
同じ四国とは言え、瀬戸内とは全く違う太平洋の大海原を眺めながら進みます
もう直ぐ室戸岬、あの尖った地図が想像できますね
岬からは有名な室戸岬灯台を目指します
室戸岬灯台へは岬の断崖を縫うように道路があり、中腹に在る四国霊場二十四番札所を横目に進みます
ここもWikipediaから引用します
「修行の道場」とされる土佐最初の霊場。太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある。黒潮のしぶきにあらわれて鋭角になった黒い岩礁。そのすさまじい響き、空と海が一体となり襲いかかる洞窟の樹下で、藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励む青年・空海がいた。延暦11年(792)、弘法大師19歳のころとされている。この詳細は、大師が24歳のときの撰述『三教指帰』に次のように記されている。
「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」
大同2年、唐から帰朝した翌年に大師は、勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立、創した。嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の尊信が厚く、また、足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進により、寺運は隆盛した。
当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している二十六番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。
しかし、当時のこの場所にどうやって建設、建立されたのか?
相当な苦難が想像されるワケです
そして、思わず声を上げる絶景
いったいこれまで、どれだけの数の航海の手助けとなったのでしょう..
皆で記念写真に納まります
高知市内まであと少し、”道の駅夜須”では美しい夕日が
さらに続く
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