1958年、満面の笑顔で第一回アサマクラブマンレースに参戦の若者
この若者こそ
ホンダドリーム250ccを駆る若干22歳の宇野順一郎氏その勇姿であります
アサマといえば我々世代のオートバイ乗りにとってはバイブルであり、伝説や神話化された逸話等々..興味深いことばかり
そして、日本のオートバイ史はそのまま戦後の急成長する日本経済を象徴しています
こうした背景もあり
浅間山の麓にはアサマミーティングクラブと云うオートバイを愛するクラブが1975年に発足しており
私も1980年代前半に入会し頻繁に参加していました
そんな時期でもあり、私の生まれ年に活躍していたレジェンドに会うことができたとはとても驚きです
実は、宇野氏とのご縁はポルシェ356
写真に納まる356乗りの先輩がスズカサーキット等のバイクレースでご一緒だったり
宇野さんご本業の電装技術を356で活かしたり..
当時の写真もご持参頂き話が弾みます
クラブマン時代の成績が認められ、後にヤマハのワークスライダーとなった宇野氏
1965年第3回MFJ鈴鹿ロードレース 50cc ジュニア部門
スタート直後のトップ争い ゼッケン70が宇野氏 このレースは 2位でフィニッシュ
因みにゼッケン58は優勝の河崎裕之(スズキ)60は菅家安智(スズキ)
同じ日、125ccクラス 予選2位ながら決勝はウィナー
やはりゼッケンは70番
こちらは翌日か..
250ccクラス決勝、予選6位ながら決勝3位のゼッケン70が宇野氏
当時の詳しいレース成績を調べてみると
宇野氏の活躍もあり、軽量級はヤマハが強く350クラスになるとホンダ勢のような感じです
併せて当時の記録をみると驚くようなメンバーです
北野 元 伊藤 光夫 伊藤史朗 谷口 尚己 生沢 徹 片山 義美 砂子 義一…
さらに、若き日の高橋 国光がクラブマン枠でBSAゴールドスターで参戦しているのです
私の秘密基地でも話は尽きません
そしてこの後、マン島の話で盛り上がるのでした..
続く
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